更新日:2021/05/20
難治性卵巣がんにおける白金製剤無効症例の原因としてのポリスルフィドの役割解明と、その分解剤による薬剤耐性解除効果の発見
慶應義塾大学病院臨床研究推進センターの菱木貴子専任講師、医学部医化学教室の山本雄広専任講師、加部泰明准教授、末松誠教授及び日本医科大学大学院医学研究科生体機能制御学分野の本田一文大学院教授、国立がん研究センター研究所の平岡伸介部門長のグループは、手術により摘出した卵巣がん組織における活性硫黄種の一つであるポリスルフィド(PS)を表面増強ラマン散乱イメージングによって世界で初めて検出することに成功した。これにより、ポリスルフィドが高い値の症例では、手術後に行われる白金製剤などの化学療法の効果が低下し、長期予後が悪化することを明らかにした。
卵巣がん症例では、診断後に腫瘍減量手術を行ったのち、シスプラチンなどの白金製剤が術後化学療法として施行されている。しかし、術後化学療法の効果には大きな個人差がある。このため、化学療法に対する抵抗性の指標となるバイオマーカーを探索するとともに、薬剤抵抗性のメカニズムを解明し、かつ抵抗性を解除する新たな治療法を見出すことが求められていた。
本田教授(国立がん研究センター研究所部門長兼任)らの研究チームは、防衛医科大学校病態病理学(津田均教授)、産婦人科学(高野政志教授)のチームと共同で、2病院における卵巣がん症例182例から得た摘出組織を免疫組織マイクロアレイ法により1,012種類の単クローン抗体を用いて解析した結果、システインやグルタチオン、硫化水素(H2S)などの生成酵素の一つであるシスタチオニン-リアーゼ(CSE)が高く発現している症例では、白金製剤を主体とした術後化学療法の成績が悪く、生命予後が短くなることが分かった。白金製剤に対する薬剤抵抗性は、病理診断で明細胞がんと診断された症例が大多数であったが、それらの症例の中でもCSEの発現量が高い症例と低い症例とのばらつきが大きいため、個々の症例における生命予後の正確な予測は困難であった。末松教授らの研究チームは、2018年に報告した非標識・無染色の組織凍結切片を用いて多数の代謝物を画像化できる表面増強ラマンイメージング技術を利用して、国立がん研究センター・バイオバンクに蓄積されている卵巣がんの組織検体を用いてImaging metabolomics解析した。その結果、明細胞がん(Clear Cell Carcinoma:CCC)では漿液性腺がん(Serous Adenocarcinoma:SAC)と比べて、がん細胞集塊部(Cancer cell nest)や周囲のがん間質部(Cancer stroma)で、480 cm-1に検出されるポリスルフィド(PS)が高いことが明らかになった。PSは酵素CSEが生成する主要な代謝物質の一つであり、ヒトの固形腫瘍で高値を示す症例は化学療法抵抗性を示すことが初めて明らかになった。CCCのPS値は症例間のばらつきが大きく、特にPS値の中央値で2群に分けると、低値群では全例が化学療法に反応するのに対して、高値群では術後2,500日で死亡していた。
さらに末松教授のチームは、既存薬の中で去痰薬として汎用されているAmbroxolにポリスルフィドの分解作用があることをSERSの解析で明らかにした。ヒト由来の卵巣がん細胞株のうち、PSが高い株であるOVISE細胞と、PSが低い株であるOVCAR細胞を比較すると、Ambroxolを添加するとOVISE細胞の生存が低下することも分かった。そこで、これらの細胞株の白金製剤(シスプラチン)に対する感受性を比較したところ、OVISE細胞ではシスプラチン単独では細胞死が起こりにくいのに対し、Ambroxol共存下で培養すると細胞死が誘導されることが明らかになった。興味深いことに、OVISE細胞内の複数のタンパク質では、通常はシステイン側鎖のチオール基(-SH)がポリスルフィド化されていることも生化学的に証明された。Ambroxolはこれらのタンパク質のポリスルフィド化を顕著に抑制することが示された。さらに、ヌードマウスの皮下にOVISE細胞を移植して腫瘍形成を起こすモデルでもAmbroxolはCisplatinによる腫瘍退縮効果を増強することが明らかになった。
本研究の意義は、腫瘍減量手術を受けた際に採取できる凍結卵巣組織ブロックを薄切してできる試料を表面増強ラマン分光顕微鏡(SERS)で分析することによって、サンプルを標識、染色などの人為的操作を加えずにポリスルフィドが高値の患者を簡便に選別できるようになったことである。またポリスルフィド高値の症例では白金製剤とAmbroxolを併用することによって腫瘍の退縮効果が増強する、すなわち、治療薬耐性の解除が可能であることが示唆された。このような薬剤併用による抗がん剤の主作用の増強は、将来進行性の卵巣がんの術後化学療法の予後を改善する可能性が示唆され、今後の展開が期待される。
(Medister 2021年5月20日 中立元樹)
<参考資料>
国立がん研究センタープレスリリース 難治性卵巣がんにおける白金製剤無効症例の原因としてのポリスルフィドの役割解明と、その分解剤による薬剤耐性解除効果の発見