更新日:2023/02/11
がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方
著者の関本医師は、これまで1000人近くの患者さんを看取ってきた緩和ケア医。そんな関本医師は2019年の秋にステージ4の進行がんと診断されます。本著は、進行がんと告知された著者が命や仕事、生きる意味や目的、そして運命などについて素直な気持ちを綴ったもの。命に限りがあることを知った著者の葛藤や家族、仕事への想い、患者になってはじめて感じたことなど、その時々の心情がまとめられています。
緩和ケア医ががんと宣告されて
関本医師が異変に気づいたのは2019年10月のこと。長引く咳や体調の不良を感じて胸部CT検査を受けることになりました。C T検査の結果、肺に4センチほどの腫瘤の影が画像に映っていたのが関本医師にもわかったといいます。それをみた瞬間、もう手術できる状態ではない。医師であるからこそわかる不安に直面します。さらに詳しい検査を受けると、肺がんのステージ4と診断されます。しかも脳への多発転移も発見されました。
それまで緩和ケア医として多くの患者さんを看てきた関本医師でしたが、自分のこととなるとやはり動揺を隠すことはできなかったといいます。また、ベテランの緩和ケア医である関本医師のお母様も同様に、息子のこととなると冷静さを保つことはできなかったそうです。
診断後の病院選びのことや家族との向き合い方など、その時その時の気持ちが飾らないことばで表現されています。
残り2年の生き方
肺がん、ステージ4。脳への多発転移。生存期間の中央値が2年と知った関本医師がはじめたのがフェイスブックです。43歳の誕生日を迎える前日のことでした。これからは今までと同じ生活を送ることは難しいこと、仕事の優先順位や付き合い方が変わること、がんであることを隠して生活することは不可能と感じたことなどから、がんを公表することにした関本医師。
がんと宣告された当時、9歳と5歳だった子どもたちにも自身のがんのことを伝えます。それは、関本医師が患者さんにそう伝えてきたことでした。
病院で迎えた43歳の誕生日。脳幹や小脳といった脳のデリケートな部位への転移だったため、「サイバーナイフ」の治療を受けることになり、その翌週には抗がん剤治療も行われました。完治が望めないステージ4のがん。関本医師にとってのテーマは「これから先、どう生きるべきか」ということ。そして望むことは残された時間を「自分らしく生きること」でした。
死について
死ぬこと自体は怖くないという関本医師。ただ、本来ならご自身や奥様のご両親を看取ることが使命と思っていた著者にとって、それが叶わないかもしれないことは無念で仕方ないことはいうまでもありません。
著者も母親のあとを継いで医師になったように、心のなかでは息子さんにもクリニックを継いでほしい。でも、まだ5歳。関本医師のもどかしい心情が見え隠れします。また、将来に描いていた諸々の夢のこと。例えば、娘さんの結婚式で歌を歌うことだったり、息子さんの結婚式でスピーチをしたりすることなど、そんなあたり前に誰もが抱く夢さえも手の届かない遠い存在となってしまった現実を突きつけられます。
43歳。まだまだやりたいことは山のようにあるはず。しかし、死と直面したいま、考えなければならない優先順位もこれまでとは異なります。そのなかでも、一番気がかりなことは、著者がいなくなった後の家族の生活費のことでした。シミュレーションをすると、とりわけ大きく占めていたのが教育費だったとのこと。
がん治療にかかる費用も患者になってはじめて知った著者。サイバーナイフにかかった費用や入院費などについても同著のなかで触れています。家族に少しでもお金を残さなければならないという思いの中で、このままダラダラと治療費だけがかさむのなら、早くお迎えが来てくれた方がいいのではないか、長生きすることはその目的に反するのでないか、そんな諸々の感情が去来します。
そんな中で、著者にとって生きるモチベーションとなっているのは、がん患者さんたちに役に立つ生き方の参考になるようなものを残すこと。前向きに生きる関本医師の姿に元気をもらえる一冊です。
執筆者 美奈川由紀 看護師・メディカルライター
看護師の経験を活かし、医療記事を中心に執筆
西日本新聞、週刊朝日、がんナビ、時事メディカルなどに記事を執筆
著書に「マンモグラフィってなに?乳がんが気になるあなたへ」(日本評論社)がある
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