第5回 徳川家康と胃がん

第5回目のお題は胃がんです。
かつて日本の癌死亡数の1位は胃がんでした。他の癌が増えてきたため、相対的な死亡割合は低下してきておりますが、それでも死因の2位とメジャーな癌です。

狭義の胃がんは胃粘膜上皮から発生する癌です。喫煙、飲酒、塩分摂取で発生率が上がるとされています。またヘリコバクターピロリ菌の感染があるとリスクが上昇することも知られており感染がある方は除菌をお勧めいたします。(1週間の薬剤内服で治療できますよ)5年生存率は胃癌全体で71.4%、StageIで91.2%と早期で治療出来れば大変予後の良い癌です。しかし、初期の胃がんは自覚症状が殆どありません。そのため胃のバリウム検査や胃カメラによる検診を受けることが早期発見につながります。進行すると腹痛や食欲不振が出現するのですが、その症状を他の病気だ!と言い張った武将がおります。

没後400年のあの武将!

幼い頃の人質生活を堪え忍び、ついに天下をとり江戸幕府を開いた男『徳川家康』、狸オヤジのイメージがありますが、実は武勇にすぐれた健康マニアでした。特に弓の名人で知られ、武田軍との戦いでは自ら弓を引き、敵兵を打ち倒した記録が残っております。
花柳病(性病)をおそれて遊女を抱かず、鷹狩りや水泳を楽しみ、食事も身体によいとされる玄米を混ぜた飯を食べていました。家康は『和剤局方』という薬剤の書物を常にそばに置き、自分で漢方薬を調合するのが趣味でした。そんな健康オタクな家康も当時流行していた『寸白』という寄生虫に苦しめられておりました。寸白というのは条虫という種類の寄生虫でびろーんと長い虫です。家康は寸白の特効薬である『万病円』という薬を自分で調合し服用していたそうです。
 さて話は変わりまして、大阪夏の陣。真田幸村の猛攻に一時は切腹を覚悟した家康ですが、無事に大阪城は陥落、豊臣家は滅びました。これで晴れて天下は家康のものとなったのです。その翌年、ほっと一息の家康は田中城で鷹狩りを楽しみ、そこで鯛の天ぷらを食べ過ぎお腹を壊しました。これが死因という話もありますが、死んだのはこの3ヶ月後、かつ一旦回復しておりますので天ぷらによる食中毒が死因ではありません。この後に食欲不振やら胸のつかえなどが出現し、腹部にしこりも触れたことから『胃がん』が家康の死因と考えられます。しかし家康はこれを寄生虫による症状だと思い込み医者の意見を聞き入れずに『万病円』という下剤を愛用し続けました。ちなみに家康に万病円の服用をやめるよう進言した医者は田舎に左遷されております。この時代、胃がんであれば遅かれ早かれ死亡しますが、自己判断が死期を早めた可能性がありますね。ちなみに寸白こと条虫の通称は『サナダムシ』です。これは条虫の形が、九度山に流罪となった真田親子が編んでいたとされる『真田紐』に似ていることから名付けられたという説が有力でありますが、胃がんを寸白のせいだと思った家康が「真田は虫になってまでもこの家康を苦しめる。」と嘆いたのがサナダムシの語源というのもあるそうです。


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馬渕 まり プロフィール


広島県生まれ。
秋田大学医学部卒業、同大学院修了。
医学博士、内科認定医、日本糖尿病学会専門医、そして危険物取扱者乙種4類。現在は愛知県の病院に勤務。
著書に戦国診察室 がある。

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