東京医科歯科大学難治疾患研究所
疾患医科学研究系ウイルス感染学分野
清水則夫
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では、がん遺伝子とは何でしょうか?
がん遺伝子とは読んで字のごとしで発がんに関与する遺伝子ですが、前回ヒトにとって非常に有害と考えられるがん遺伝子とほとんど同じ遺伝子が正常な細胞のなかにも存在することを述べました。では、なぜヒトはそのような有害と思われるような遺伝子をわざわざ持っているのでしょうか? その答えはその後の研究から容易に得られました。すなわち、細胞中に存在するウイルスのがん遺伝子とそっくりな遺伝子はがんを引き起こすための遺伝子ではなく、細胞が分裂増殖する際に必ず必要となるとても重要な遺伝子であることが明かとなったのです(注1)。そのような細胞増殖に重要な遺伝子を細胞から取り込んで、みずからが感染した細胞の数を増やす働きがあるウイルスが「がんウイルス」なのです。そして、がんウイルスが感染すると、遺伝子のオンオフの制御がはずれてウイルスの制御下に入ってしまった細胞増殖遺伝子が活発に活動し、じっとしているべき細胞にまで細胞増殖を誘導することになります。ウイルス感染細胞がどんどん増えることはウイルスにとっては有益なことに違いありませんが、宿主のヒトにとっては不必要な細胞がどんどん増殖し大変困った事態になってしまいます。このように細胞増殖に必須の重要な遺伝子でもウイルスに組み込まれてがん遺伝子となり、そしてウイルス感染により勝手に働くようになると個体にとって非常に有害に作用するわけです(注2)。つまり、細胞増殖に関連した遺伝子はその働きが厳密に制御され続ける必要があり、制御がはずれると重大な結果を招くおそれがあるということで、ウイルスの制御下に入ってしまって勝手に暴れ出すとがんを引き起こすことがその典型的な例なのです。昔のアニメ鉄人28号の主題歌にも「敵に渡すな大事なリモコン」といったフレーズがある通りです。また遺伝子そのものあるいは遺伝子の制御領域に傷ができてしまい、制御不能な状態で遺伝子が活発に活動してしまうこともあります。実際に、さまざまながんを調べてみると、細胞がもっているさまざまながん原遺伝子(注2参照)のどれかに変異が入っている場合が多数みつかります。また、特定の種類のがんには特定のがん遺伝子が関与していることもよく見られる現象です。
生体が維持されるためには、細胞がいつどの程度分裂増殖して増殖を停止し、その細胞がどのくらい生存し、そしていつ死ぬかといったことが非常に重要です。それが上手く制御されて始めて五体満足な体ができあがり、そして生きていけるのです。そしてそれは一つ一つの細胞の生き死に、増殖が厳密に制御されて始めて実現することです。細胞の分裂増殖の制御が重要であることは容易に理解できると思いますが、細胞が設計通りに死ぬことも実は極めて重要なのです。例えば、おたまじゃくしはカエルになる時にシッポが急速に短くなり、ついにはなくなってしまいます。また、ヒトに胎児の手は初めは指がありませんが、しだいに切れ込みが入り指が5本形成されます。そのような不必要な部分の細胞を取り除く現象は、多くの場合不要な細胞がある決められたタイミングで自ら死ぬことによって実現されています。このようにあらかじめ細胞が死ぬ時期が決められていることをプログラム細胞死あるいはアポトーシスと呼んでいます。このアポトーシスという現象は極めて重要で、体がかたちづくられる場面だけでなく、様々な場面で重要な働きをしています。例えば感染症やがんに対する免疫を考えた場合、感染症の原因である細菌やウイルスは確実に撃退しなくてはなりませんが、自分の体の正常細胞を攻撃しては非常に困ったことになってしまいます。免疫の力は非常に強力で、暴走を始めると(つまり自分の体を攻撃する:自己免疫疾患)ひどい場合には死に至ります。もちろんその能力が不十分で感染症を撃退できなければ死に直結するわけですから、その強力な力を的確に制御することが非常に重要なわけです。その制御法の一つとしてアポトーシスが重要な役割をしていることが明らかとなっています。免疫担当細胞のうち自分の体を攻撃してしますような危険な細胞は、強制的にアポトーシスを誘導して自殺に追い込むことで排除する機構があることが見つかっています。話をがんに戻すと、がん細胞とは決められた状態を守らずに勝手に分裂増殖し続ける細胞です。そのような細胞ができあがる一つの理由は、細胞の分裂増殖を司っている様々な遺伝子の制御がはずれて、分裂増殖が止まらなくなってしまうことで、がん遺伝子が中心的な役割をしているのです。
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注1 逆に言えば、がん遺伝子の研究から細胞の分裂増殖の機構が解明されたともいえるでしょう。
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注2 ウイルスに組み込まれるなどにより、がんを引き起こす能力を獲得した細胞遺伝子をがん遺伝子と呼びます。また、細胞がもっているがん遺伝子とそっくりな遺伝子をがん遺伝子のもとになった遺伝子という意味でがん原遺伝子と呼ぶこともあります。
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