東京医科歯科大学難治疾患研究所
疾患医科学研究系ウイルス感染学分野
清水則夫
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動物にがんウイルスが存在することが明かとなったことから、ヒトにも当然がんウイルスが存在するものと予想され精力的に研究されました。その結果、ヒトに感染するウイルスの中にもがんウイルスと呼ぶことができる種類があることが明かとなりましたが、その反面動物のがんウイルスのように感染すると短期間の内に発がんに至るような強力ながんウイルスは今だに発見されていません。このことは、ヒトが長生きできるのはがんウイルスを含む多くの微生物の攻撃から身を守る高度な免疫システムを獲得したからと言い換える事もできると思います。このへんの事情はあとで詳しくお話するとして、まずは動物のがんウイルスの研究からどのようにして発がんのメカニズムが明かとなって来たのかを簡単に説明しましょう。まず初めに、なぜがんウイルスの研究によりがんの原因を探る研究が大きく前進したのでしょうか?その主要な要因はウイルスとヒトのゲノムの大きさの違いに由来しています。最近、「ヒトゲノムの解読がほぼ終了した」との報道を目にした方も多いかと思います。その生物の遺伝暗号がすべて含まれる遺伝子の総体をゲノムと呼びますが、言い換えればヒトの体を形作るための遺伝暗号がほぼすべて解読されたということです。遺伝子とは体の設計図にも例えられますが、目には見えないほどの大きさしかない細胞(1mmの百分の一くらい)一つ一つにヒトを形作るための暗号がすべてしまい込まれています。遺伝子はDNAと呼ばれる糸状の物質ですが、折り畳まれているヒトゲノムを延ばすと約1メートルの長さで、約30億文字の暗号がその中に書き込まれています。そのようなゲノムが赤血球を除くすべての細胞の核の中に折り畳まれて格納されています。そして細胞が2つに分裂増殖する際にはゲノムも複製されて2倍に増加します。(余談ですが、その際によく糸状のDNAがこんがらないものと驚かされます。こんがらがれば細胞は生きてはいけないのですから。)そのように細胞のDNAに細胞ががん化する原因が潜んでいることはかなり早い段階から明かとなっていました。しかし、その長大なDNAの中からがんの原因となる部分をさがすことは、干し草の山から1本の針を探すようなもので、困難を極めました。それにひきかえ、ウイルスのゲノムはヒトのゲノムと比較すると非常に小さく、ニワトリやネズミにがんを誘発するがんウイルスのゲノムは遺伝暗号にして1万文字程度の大きさしかありません。ヒトゲノムの約30万分の1です。このような小さなウイルスのゲノムにがんを引き起こすことができる遺伝暗号が書き込まれているわけですから、ヒトゲノムを研究対象としたのに比較して著しく解析が容易であることはすぐに想像できると思います。そして、ニワトリやネズミのがんウイルスの研究が世界中で精力的におこなわれました。その結果、ニワトリのがんウイルス(注1)には4つの遺伝子があり、その内の一つが発がんの原因となっていることがついに突き止められたのです。約30年ほど前の事です。その遺伝子を詳しく調べた結果、その遺伝子はある酵素の遺伝暗号であることが明かとなりました。その遺伝子(SRC:肉腫 [Sarcoma] から命名、サーク遺伝子と呼ばれています)は、他のタンパク質にリン酸を付加する働きがあるタンパク質(リン酸化酵素)の遺伝子だったのです(注2)。細胞の中ではタンパク質にリン酸が付加されているかいないかがスイッチの働きをして情報伝達のON / OFFが制御されていますが、その情報伝達経路に大きな影響を与える酵素がウイルスによって持ち込まれると細胞ががん化することがついに突き止められたのです。そして、そのすぐ後にもっと衝撃的な事実が発見されました。なんと、サーク遺伝子はウイルスが独自に作り出した悪魔のような遺伝子ではなく、ほぼ同じ遺伝子が動物そしてヒトのゲノムの中からも発見されたのです。そしてその後の研究から、ヒトや動物に元々存在する遺伝子がウイルスに取り込まれ、そしてウイルス感染に伴って細胞に再注入されると細胞ががん化することが明かとなりました。つまり、ヒトは生まれながらにして親から遺伝したがん遺伝子を保持していることが明らかとなったのです。
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注1 ラウス肉腫ウイルス:ラウス博士により発見された初めてのがんウイルスで、その業績に対して1966年にノーベル医学生理学賞を授与されました。
肉腫とは元になった細胞の種類が異なるだけで、基本的には癌と同様です。
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注2 この業績対して1989年にノーベル医学生理学賞が授与されています。
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