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戦国武将と癌:第6回 前田利家と胆嚢癌

第6回目のお題は胆嚢癌です。
胆嚢は肝臓の下部に位置し、肝臓から十二指腸を繋ぐ胆道の途中にあります。ちなみに胆嚢は胆汁を入れる袋です。時々間違える人がいますが胆汁を作っているのは肝臓です。医学部6年生の時点でこれを勘違いしていた同級生のKくん元気かな。十二指腸に食物が入ると、胆嚢は収縮し胆汁が分泌されます。胆汁は脂肪の消化吸収を助ける消化酵素です。胆嚢が無くても胆汁は肝臓から出ているわけですが、胆嚢を取るとタイミング良く胆汁が分泌出来ないため、脂肪を多く取った際に下痢を起こしやすくなる人もいます。
それはさておき胆嚢癌は症状が出にくい癌です。また胃などと違い粘膜筋板や粘膜下層がありませんので遠隔転移をおこしやすい。それゆえに症状が出る頃にはもう手遅れの場合が多く予後の悪い癌となっております。進行した場合の症状は胆汁うっ滞による黄疸や、右季肋部痛や食欲不振です。70歳以上の高齢者に多く、胆石症に合併することも多いそうです。早期の胆嚢癌であれば手術で根治が可能です。早期癌は健診エコーなどで偶然に発見されることが多いのでやはり健診は大切ですね。

加賀100万石の祖、前田利家

前田利家は、1538年、荒子川城主の四男として生まれ、信長に小姓として仕えました。信長と言えば蘭丸との関係が有名ですが、利家ともそういう仲だったそうです。信長お気に入りの茶坊主と諍いを起こし、斬り殺したことから信長の怒りを買い一時は浪人となりますが、桶狭間の戦いなどで手柄を挙げ、帰参を許され45歳で能登45万石の大名となります。本能寺の変の後は、柴田勝家につくか豊臣秀吉につくかで迷い、結局は秀吉の臣下となり、五大老になります。元々秀吉とは家族ぐるみのつきあいがあり、四女の豪姫を生まれてすぐに秀吉の養女にするなど親友といえる仲でした。諸大名の信頼も厚く、秀吉亡き後、家康に睨みをきかせることが出来たのは前田利家だったわけですが、秀吉が亡くなった年の秋に利家は体調を崩してしまいます。実は利家、41歳頃から「虫気(腹痛)」にたびたび苦しんでおりました。この腹痛、鶴の吸い物を飲むと悪化したことから、脂っこい食物で起こる胆石発作ではないかと考えられます。翌年の正月には病をおして秀頼の年賀に立ち会った利家ですが、翌年3月に病没いたしました。死の2日前にもまつとしっかりと会話をしていたようなので、脳卒中など神経系の病気ではなかったようです。薄墨色の尿(メラニン尿)が出た記述もあり、肝硬変や、内臓系の癌が疑われる状況で、衰弱して亡くなったそうです。胆嚢癌と断定できるワケではなく恐縮ですが、胆石症に胆嚢癌が合併する確率は2-3%とあまり高くはありませんが、高齢になるとその頻度は上昇します(胆嚢癌に胆石が合併する確率は50-60%です)。長年胆石発作に苦しんだ+おそらく消化器系の癌ということで、利家の死因は胆嚢癌にしておいて下さい。余談ですが、秀頼がもう少し成長するまで利家が生きて家康を牽制できていたら、歴史が変わったかもしれませんね。

<参考資料>
カルテ拝見 武将の死因 杉浦守邦 東山書房
戦国武将の死亡診断書 酒井シヅ


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馬渕 まり プロフィール


広島県生まれ。
秋田大学医学部卒業、同大学院修了。
医学博士、内科認定医、日本糖尿病学会専門医、そして危険物取扱者乙種4類。現在は愛知県の病院に勤務。
著書に戦国診察室 がある。